2021.06.17

二宮和也さん、お誕生日おめでとうございます。そして38歳のにのみやさん初めまして。会えて嬉しいです。

 

いつまでも新参の気持ちでいるし実際そうだし、ちゃんと617日をお祝いするのはまだ2回目なんだけど、一昨年のこの時期にはちょっと気になるかもだったと思うからもう丸2年になるらしい。いつか突然落ちたときの話も書きたいなってぼんやり思ってたけど、ぼんやりしすぎじゃないですか?びっくりです。そんなこんなでなんで好きなんだろう、とかどこを好きになったんだろう、とか時々考えてみるというか言語化してみようとするんだけど、これがなかなか難しい。二宮教信者の彼の言葉を借りるなら"今となってはよくわかってなくて" "でもにのみやくんっていう存在が好き"です。いやあ、完全同意。

 

西畑くんの言葉を借りて"にのみやくん"っていってしまった。(嵐への入り口もそうなんだけど、にのみやさんへの気持ちの入り口、"かっこいい"とか"かわいい"以前に圧倒的に""尊敬""があるし、あと君付けで呼ぶのなんかふつうに照れてしまう。メンバーが呼んでる呼び方だったら最早あだ名みたいな感覚で君付けで呼べるんだけどな。とはいえ"にの"はなんかものすごい距離が近い気がしてこれはこれで呼べない。呼び方からして拗らせおたくですねこれは完全に。だから結局いつも"二宮さん"って呼んでる。でも二宮さん、ほんとうに"にのみやくん"っていうひらがなのまろみが似合うよね。

 

 

 

えっと、なんのはなし?

普段文章を書かない人間が見切り発車するからこんなことにここから何を書くか私にも分からないんだけど、ひとまず二宮さんの好きなところ書こうかな。きっとこれを読む人はほぼ私だけだろうし何より私が楽しいので。

 

子犬みたいなあどけない表情がすき。もちもちのほっぺたがすき。水分過多なうるうるおめめがすき。まっしろで、でも恥ずかしいとすぐに赤くなっちゃう肌がすき。自由人でふしぎちゃんなところがすき。歌うことや踊ることが大好きなんだなって伝わるところがすき。人たらしなところがすき。まわりが見えすぎるほど見えてて気遣い屋さんなところがすき。すぐにおちょけて遊ぶのに次の瞬間にはぐさっと本質を突き刺すところがすき。素直じゃない言葉からこぼれ落ちる優しさがすき。その優しさに基づいた考え方と視野の広さがすき。ひねくれたことばかりいうのに、それを解いていくとまっすぐに繋がる揺らがない軸があるのがすき。偶像としての自覚がありすぎるところがすき。そのうえで実像のしあわせを諦めないでいてくれるところがすき。すべてをほんのり信用してないような慎重さを持っているのに、一度テリトリーに入れた人に対してはものすごく無防備なところがすき。本人が隠そうとしてても全然隠しきれない好きな人たちへの愛の重さがすき。

 

これ無限にあげられるな。なんかもう理由とかどうでもいいからぜ〜んぶ好きです!って叫びたい気持ちと、"すき"をひとつずつ言葉にして決して分かりやすくはないこのひとのことを解釈し続けたいなって気持ちが両方ある。絶対にホンモノに手が届かないのは承知の上で。

 

 

 

でも、もし、どうしても何かひとつ"だけ"好きな理由を挙げてくださいって言われたら、「偶像としての自覚と自認が恐ろしいほどあること」って答えると思う。

 

私はほんと〜〜〜〜〜〜にベイストームのこと大好きなんだけど、その中でもすごく記憶に残ってる回があって。それが二宮さん曰くの"ハガキ職人"から届いた「二宮くんって、ほんとうに存在しているんですか?」ってメールなんだけど。二宮さんの答えは、「相手に認知されてはじめて、その相手にとっては俺が存在するってことになるんじゃないかな」だった。

 

あまりにすきだと思った。哲学的で、でも真理だと思う。たぶんこの理論はひととひとの関係に汎用的に当てはまるものだろうけど、これを"アイドル"の二宮さんにさらりと語られてしまったこと、あまりにぞくぞくした。声高に自分の存在を主張するわけじゃなく、あくまでみてくれている人がいるから成り立つ存在であること。その視点を当たり前のように語ること。そして、"アイドル"がこれを語ること、あまりに真理で残酷なんじゃないかと思った。だってこの理論に従ったら、私たちひとりひとりの中には当然のように"二宮和也"は存在しているけど、二宮さんのなかに私たちひとりひとりはいないことになる。アイドルとファンの関係性はいつだってアンバランスで、不健全。でもその不健全さこそがこの関係においては正しくて、(少なくともわたしはそう思っていて、)対等じゃないかもしれないこの関係値がすきだ。この関係値だからすきでいられる。私はいつだってそう思うしそれに自覚的でありたいなって思うけど、そのアンバランスさは彼らを傷つける方向に傾いてしまうことが往々にしてあるから。ともすれば消費される側かもしれない彼がそれに自覚的なことにどうしたって信頼を覚えてしまうし、このアンバランスさをわかったうえで許容してくれているのが、切なくてうれしい。

 

一方で、彼の中には存在していないかもしれない私たちに向けて、いつだって愛を届けてくれるのが本当にすきだなって思うよ。嵐や自分のお祝いごとがあるたびにファンにもおめでとうっていってくれることとか、ライブの終わりに紡がれるやわらかな言葉だとか。二宮さんがみせてくれるもの、届けてくれるもの、突き詰めていくと全部全部""""なんだっていつも思う。親しい人への愛はどこまでも強くて、それ以外には全く興味を示さない彼の愛を感じられる瞬間がすき。その愛は彼のほんとの親しい人へ向けられたものとは絶対に違うけれど、アイドルとファンっていう正しい不健全の上で彼が届けてくれる愛が、届けようとしてくれる気持ちが本当にたまらなくだいすき。

 

 

 

 

えっと、なんのはなし?(2回目)

すきなところ書いてたはずがなんか方向性を大きく違えたよね。見切り発車するから……おめでたい日に書く話ですかこれ?

 

二宮さんと偶像のはなし、(まだするの?)たぶん永遠にできる。ベイストでの「美術品としてイケメンを楽しむなら近くなりすぎない方がいい」だとか、『浅田家!』のインタビューで「完全犯罪を演じたらかっこよくうつるかもしれないけれど、絶対にそれは教えない」「けれどファンの人たちも一緒に大人になって分別がつく年頃になったからこれからは変わるかも」といっていたことだとか、最近だとジャにのちゃんねるで自分で自分にテロップをつけてることだとか。ぜんぶわたしの中では同じラインにいて、そこが繋がって一本の線になっていく瞬間がたまらなく好きです。

 

 

ほんとうに、しあわせでいてほしいと心からおもう。好きな人がお祝いされてるのこんなにも嬉しくて幸せなことなんだって知ったあの日から、今日まで1年。いっぱいいっぱいしあわせをもらいました。あたらしい世界もたくさん教えてもらった。ほんとうに、しあわせばっかりが降り注いでほしい。偶像の彼にも、実像の彼にも。

 

わたしは彼がみせようとしてくれる彼しか知らなくて、直接的に彼に何かしてあげられるわけでも、逆に痛みや悲しみを分け合ってあげられるわけでもない。そんな距離感でしあわせを願うなんて傲慢かもしれないけど、でもほんとうにずっとずっと笑っててほしいって願ってやまないよ。いつだって美しく偶像を貫いてくれる二宮さんが、好きな人たちと好きなことをやりきれますように。心の底から笑っていますように。

 

改めて、38歳おめでとうございます。今年もずっとずっと二宮さんのみせてくれる世界を抱きしめていたい。

 

 

 

PS

わたしへ。勢いでポエム書いちゃったけど、昔の供給全然追えてないからなお前〜〜〜!(懺悔)お前ごときが語るんじゃないよ!あと来年はもっとちゃんとした文章書いてください。今年のこれを公開するのは勢いと来年への戒めです。

 

PSPS

もうどうせ自分しか読まないし!のきもちで好き勝手書いてるんですけど、もし、もし万が一ここまで読んでくださった心優すぎる方がいらしたら、ぜひ過去作で何がすきかとか、自担のすきなところとか、色々教えてください。きっと二宮さんのこと、あるいは嵐さんのことが好きでこの文章に目をむけてくれたんだと思うから。あなたが彼らを応援してきてくれたから、わたしはこの歳になって彼らに出会えました。本当にありがとう。